祇園商店街ブログ

祇園への手紙一 「清々しさと奥床しさ」

  空寒み花にまがへて散る雪に すこし春ある心地こそすれ

 この歌は上の句を清少納言が、下の句を藤原公任がそれぞれに詠んだ贈答歌の形式をとっている。
清少納言は公任から届けられた下の句が、唐の詩人・白居易の詩を踏まえたことを咄嗟に見抜き、同じく白居易の詩を踏んで上の句をつけて返した。
平安朝の宮中では、このような超一級の文学的感覚の競いあいがたえず行われていた。
都ではこうした文化の洗練がその後も数百年にわたって営みつづけられ、やがて町衆の文化としても広がっていった。
 日本の美意識とは「清々しさ」と「奥床しさ」の二語に象徴される。
「清々しい」は清廉潔白を尊ぶ神道に由来する日本伝統の美意識である。
いっぽうの「奥床しい」は実は「奥行かしい」の意味である。奥へと入りこんでみたくなる魅力を備えた状態をいう。

 喩えるならば、清々しいは陽であり聖であり、神道的である。奥床しいは陰あり俗であり、仏教的といえる。あるいは清々しさはプロテスタントで、奥床しさはカトリックといえるかも知れない。
この両者は相矛盾するように思えるが、実は根底では深くつながりあっている。聖があるから俗があり、陰があるから陽がある。聖だけのまち、俗だけのまちなら世界のいたるところにある。
日本の美意識は一見矛盾するかのようなこの二つが、相互に補完し支えあいながら成立している。
祇園はその両方をバランスよく兼ね備えた、世界でも希有なまちである。

 祇園にはまだ袋小路のような路地がいくつも残されており、“奥床しい”気持ちにさせてくれる。そして、“俗”を抜けると、最後に八坂神社という“聖”に行き着く。
願わくば通りのところどころに島のような休み場があり、水の音のする小公園があり、木立や並木などがあると、歩く楽しみがいっそう増すににちがいない。あるいは、若いアーティストたちの作品をさりげなく飾っておいてあげるような視点もあっていい。
祇園はいつまでも清々しさと奥床しさという、日本の美意識を実感させてくれるまちであってほしいと切に願っている。

東京大学名誉教授・国際日本文化研究センター名誉教授 芳賀 徹

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