祇園点景

円山公園

祇園の森で生きてきた円山公園の枝垂れ桜

里山保存とか森林浴とか、自然回帰が最近の傾向ですが、その昔の洛中洛外に多かったのが森です。

清少納言が、『枕草子』に「森は…」としるしたのが双が丘の西にあった常盤の森。
清盛塚だという古墳の残る天神の森、お俊と伝兵衛の心中の場で歌舞伎芝居の名所ともなった聖護院の森、応仁の乱の発端となった御霊の森、秀吉が大茶会を催した北野の森、賀茂川と高野川の合流点ある、『都名所図会』でおなじみの糺の森…ほか、森の数におどろかされます。

「鎮守の森」という言葉があるように、これらの森の大半は、神々が鎮座まします森でした。日本の神は、岩や石や樹など自然の事物を依代として地上に降臨したためでしょう。

『源平盛衰記』に、白河法皇と祇園女御のロマンの舞台として書かれたり、「花やあらぬ初桜の祇園林」と謡曲の『熊野』でうたわれたのが、広大な祇園の森。中世には、勧進猿楽の興行や花見見物で大いに賑わったといいます。

明治十九年の公園化で、かろうじて生き残ったのが「祇園の夜桜」で有名な円山公園の桜でしたが約四百年の寿命をまっとう、今は二代目の枝垂れ桜が目を楽しませてくれています。花どきには、ぼんぼりが点り、かがり火の明かりのもと京洛の春は、花ときめきます。

円山公園

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