祇園点景

四条大橋

暴れ川と戦った破乱万丈の四条大橋

ときには雅びやかに「宮川」とか、あるいは優しく「蝉の小川」などと女性的な名で親しまれた鴨のせせらぎは、ひとたび風雲がさわぎ、大雨が降ると怒れる暴れ川となって都の人々を苦しめたといいます。

その狂乱ぶりは、双六のサイと叡山の山法師とともに意のままにならぬと、白河法皇を嘆かせたほどの凄まじさで、橋は何度架けても風水害で消失するという歴史を繰り返してきたようです。

初めて四条大橋が架けられたのは永治2年(1142)のこと。橋の名は祇園橋といい祇園さんへの参拝客のための勧進橋(有料橋)でした。その後も何度も流失、祇園さんの氏子が願い出て、新造の橋を架けたのが安政3年というから驚き。

小説『お菊さん』で知られるフランスの文豪ピエール・ロチが来日し、雨上がりの日に円山の世阿弥ホテルから西本願寺へ向かう途中、人力車で渡ろうとしたが、またもや木の橋は崩れ落ちていたと『秋の日本』に記しています。
大正元年、市電開通時に架け替えられた鉄筋コンクリート橋の上に立ち、

  あては四条大橋に立っている
  花の株に輝く 仁丹の色電気
  うるしぬりの夜空に なんで ぽかんと立って居るのやろ
  あても知りまへんに

と歌ったのは村山槐多(むらやまかいた)。大正も遠くなりました。

四条大橋

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