祇園点景

都をどり

旧假名が生きています ポスターの「都をどり」

祇園のお茶屋さんや置屋さんなどの門口に「都をどり」のポスターが姿を見せ、四条通りの商店街につなぎ団子の赤提灯がさがりました。

「春は名のみの風の寒さや」の『早春賦』の季節をすぎて、「都をどりはヨーイヤサァ」のはなやいだ掛声を聞くと、底冷の京にようやく春来たるの感がします。

京の年中行事というだけでなく、遠く海外でも「チェリーダンス」として評判のこの都をどりのはじまりは、明治5年。東京遷都でさびれそうになった街の活性化と景気回復のために開かれた「第一回京都博覧会」の余興の「付博覧会」の催し物の一つとして、祇園の芸妓衆が踊ったのがスタートです。
発案者は、のちに知事となった府参事の槙村正直で、自らも「都踊り十二調」という詞章をつくった粋人です。

上品で通人好みの井上流の舞いと、伊勢古市の亀の子踊りにヒントを得た総踊形式が特徴です。
都をどりのをどりの「を」の字を「お」ではなく、今でも昔ながらに旧假名使いで「をどり」と書くのは、都をどりの伝統を固持してのこと。
祇園さんの桜の見ごろは過ぎても都をどりの華やぎは4月30日まで続きます。

都をどり

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