祇園点景

円山

円山公園エピソード

枝垂れ桜で有名な円山公園は、かつて真葛ヶ原と呼ばれていた地域を含み、もと法然上人が求道念仏の歳月を過ごした安養寺や、祇園感神院の寺域だった地で、明治維新後に官有地となり、明治19年(1886)に京都で初めての公園となりました。

円山公園の「円山」は安養寺の号名である「慈円山大乗院」から取ったもの。この地が文人墨客の社交の場となり、賑わいを見せることになるのは「左阿弥」「也阿弥」をはじめとする安養寺の六つの塔頭の六阿弥が旅館や料亭、貸席などを営み、夜では蹴鞠や詩歌管弦の宴を、座敷では連歌や能楽、茶会などを行っていたからです。

一力で遊んだ大石内蔵助が、浪士を集めて吉良上野介討取りの密議をこらしたのが「重阿弥」で、のちに「円山会議」と称されました。

「也阿弥」は明治12年(1879)長崎県人の井上万吉が買収。客室40の京都で最初のホテルと称し、京都でただ一つの外人宿泊ホテルを開業。ピエール・ロチも、カーテンで仕切ったドア無しのホテルには驚いたことでしょう。

公園の面積は86640㎡(約26000坪)。蹴上から疎水の水を引いて滝を作るなど、公園内の日本庭園は「植治」小川治兵衛が、大正2年から1年がかりで造園した労作です。

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