祇園点景

池大雅の碑

CMの達人で南画家の巨匠

円山の野外音楽堂の脇に、南画家の池大雅の住居跡を示す碑がぽつんと立っています。大雅は7歳で書の才を認められ、15歳で唐絵を描いて生業とし、30代で南画の巨匠となった天才です。

祇園社南門前の真葛が生い茂っていたので地名になったという真葛ヶ原に住み、40歳を過ぎるや悠々自適の生活を送り「一点の俗悪の気なし」を評された奇人です。

巨匠なのに茶屋の掛け行灯も気軽に書いたり、薬屋に頼まれた看板に「風邪薬のんでもなをらぬ風邪薬」と書いたところ、逆に好評を博して薬が売れに売れたというこぼれ話も残っています。「土用うしの日」で名を売った平賀源内とよきライバルといってもいいでしょう。

妻となった玉瀾との婚約がととのっても絵の旅に出て7年間留守にする。仕事で大坂に出かけたが絵筆を忘れる。絵筆を持ち追ってきた妻の玉瀾に「どちらの方か知りませぬが…」と礼をいう。玉瀾も画家で、大雅が三味線を弾くと、琴を弾くという江戸時代の仲睦まじき夫婦だったとか。飄々とした人柄を思わせます。

ページ上部へ