祇園点景

祇園女御塚

平安のロマン眠る

円山公園から高台寺へ抜ける道、東大谷の参道を抜けると左に見えるのが円山野外音楽堂。その向かいの地蔵堂の後方に源平時代、京雀の話題を集めた祇園女御の塚がありました。現在は祇園寺が建っており、女御塚は移設されています。

『源平盛衰記』によると、白川法皇が八坂神社へ参詣の途中、目にとめられた女房のことを世間では女御と敬称したとか。「つねに行幸ありけり」と人目もはばからず、日頃ご寵愛の女御のもとへ、五月雨を縫って暗い夜道を急ぐ法皇一行が出会ったのが、手に槌のような物を持つ怪物。あまりの恐ろしさに騒ぐ供づれの北面の武士のなかで、ひとり勇敢に立ち向かったのが平忠盛。とらえて見れば、正体は燈籠に火を点ける番人だったとか。

褒賞として忠盛に下賜された祇園女御は、すでに法皇の子を懐胎していて、生まれたのが平清盛だといいます。ただし女御が清盛の生母との説はまゆつばもので、今では女御の妹が生母だったとの説が有力です。

ロマンの主にふさわしく、以前は触れると祟りがあるといわれていた古い塚が立つだけでしたが、『新・平家物語』がテレビでドラマ化されるや、ブーム。新しく五輪塔が立ち名所の一つになっていました。

番人が燈明を点けようとしていた燈籠は「忠盛燈籠」の名で、八坂神社境内にあり、ロマンの余話を伝えています。

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