祇園点景

紋章物語

歴史の一端がうかがえる 花街の紋章物語

江戸時代の小説家・滝沢馬琴が書いた『羇旅漫録(きりょまんろく)』(1802年)という旅行記によると、享和年間のはじめごろには、京都の花街の主流は、島原から祇園へと移りつつあったようです。

いずれかあやめ、かきつばたと艶を競って、ただいま京都の花街は五花街。それぞれシンボルともいうべき紋章を持っています。

上七軒は、太閤秀吉が北野大茶会を催したとき、茶屋が献上した名物の御手洗団子に因んだ、「五つ団子」の紋章。宮川町の紋章は、寺社と町屋と花街の三者の結合をイメージしたもの。舞妓さん養成機関の女紅場を協力して学校施設にした記念とか。
鴨川をどりの初開催のさいに創業されたのは先斗町の「千鳥」の紋章。鴨川には千鳥…と発想もデザインもなかなか詩的で素敵です。

祇園の花街が甲・乙の二部に分離されたのは明治時代。祇園甲部も祇園東も八箇の「つなぎ団子」の紋章ですが、もとは遊所御免の御沙汰があったとき、嘉永4年(1851)組内八町の頭文字を円形につないだなかに祗の字を配したものだったとか。
祗に変わって甲の字入りが祇園甲部の紋章。文字なし、つなぎ団子のみが祇園東。花街の変遷の歴史同様、紋章事情も興趣つきません。

紋章物語

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