祇園点景

阿国

かぶき者のスターだった出雲の阿国の碑、ここに

南座の片隅に「阿国歌舞伎発生之地」という碑が置かれています。出雲大社の巫女を称する出雲の阿国が、一座を連れて京にあらわれたのは、通説によると慶長八年(一五八六)ごろ。祇園社の南門前から北野天満宮の馬場と転々とし、定舞台を四条河原に設けました。

「みそぎぞ夏はうち連れて、川原につどふ夕涼み」と、四条河原に集った人たちが、端唄の「京の四季」にうたわれた情景を、優雅に楽しみはじめたのは江戸時代も中期以降のことです。
秀吉の天下統一は実現していたものの、戦乱につかれた人々の荒んだ心を強く魅了したのは、阿国が披露した「かぶき踊り」という新しい芸能でした。
阿国一座の特色は男装で、金襴の羽織に紫色の帯を締め、胸には水晶のロザリオ、腰には大小の落とし差しをし、金の瓢箪に蒔絵の印籠を下げるという男装は、「かぶく」と呼ばれ、阿国の男ぶりは人々を興奮させ魅了。模倣する者や若衆歌舞伎も登場。見せ物も群れ集まって、いささかワイザツな大興行地と化しました。

健全な興行地に変革するために、四条通り橋詰めから大和大路までの南に三座、北側に二座、大和大路の西側に二座と、合計七座の芝居小屋が公認され、櫓を許されました。現在では七座中残っているのは、南座のみとなりました。

阿国

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