圓徳院
豊臣秀吉の没後、その妻北政所ねねは「高台院」の号を勅賜されたのを機縁に、高台寺建立を発願し、慶長9(1604)年58歳のとき、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿とその前庭を山内に移築して移り住んだ。
これが今日の圓徳院の起こりであり、この地でねねは77歳で没するまでの19年間を過ごした。
そのねねを支えていたのが兄の木下家定とその次男の利房である。
圓徳院はねねの没後9年目の寛永9年、利房の手により高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開かれ、高台寺の塔頭とされた。
もともと伏見城北政所化粧御殿の前庭を移した枯山水の北庭や、本堂には長谷川等伯の襖絵などがある。
また境内の三面大黒天は、福徳信仰の象徴として、豊臣秀吉が念持仏としたといわれる珍しい尊像で、いわば秀吉の出世守本尊である。
住所 : | 〒605-0825 京都市東山区高台寺下河原町530 |
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電話番号 : | 075-525-0101 |
URL: | http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml |
詳細情報 : | |
【拝観時間】 10:00~16:30受付 ライトアップ時は21:30受付終了 【拝観料】 大人400円 特別拝観時は大人500円 |


