祇園祭のお話

豪壮かつ華麗で有名な祇園祭は、約1150年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。
古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観11年(869)に京をはじめ各地に疫病が流行したとき、神泉苑に当時の国数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立てて祇園の神を祭り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。
祇園祭は、7月1日の「吉符入り」にはじまり、31日の「疫神社夏越祓」で幕を閉じるまで、1ヶ月にわたって各種の神事・行事がくり広げられます。

七月一日 吉符入り
七月一日 十時~ 長刀鉾稚児お千度
七月二日 十時~ くじ取式
七月十日 鉾建て、曳き初め
七月十日 十時~ 神事用水清祓式
七月十日 十六時半~二十一時 お迎提灯
七月十日 二十時~ 神輿洗
七月十三日 十一時~ 長刀鉾稚児社参
七月十三日 十四時~ 久世駒形稚児社参
七月十五日 十時~ 式包丁奉納
七月十五日 十五時~ 伝統芸能奉納
七月十五日 十九時~ 宵宮祭
七月十五日~十七日 いけばな展
七月十五日 十九時頃~二十二時 宵宮神賑奉納・前夜祭
七月十六日 九時~ 献茶祭
七月十四日~十六日 夕刻より 宵山
七月十六日 十八時頃~二十一時 宵宮神賑奉納
七月十六日 二十二時~ 日和神楽
七月十七日 九時~ 山鉾巡行
七月十七日 十六時~ 神幸祭・神輿渡御
七月二十三日 九時~ 献茶祭
七月二十四日 十時~ 花傘巡行
七月二十四日 十二時頃~ 花傘巡行芸能奉納
七月二十四日 十七時~ 神輿渡御・還幸祭
七月二十五日 狂言奉納
七月二十八日 十時~ 神事用水清祓式
七月二十八日 十八時~ 神輿洗
七月二十九日 十六時~ 神事済奉告祭
七月三十一日 十時~ 疫神社夏越祭

吉符入り

七月一日 各山鉾町

各山鉾町において祭神をまつって祈願し、神事の打ち合わせをします。

長刀鉾稚児お千度

七月一日 十時~ 八坂神社

山鉾巡行の先頭を務める長刀鉾の稚児と役員が、八坂神社に参拝し、祇園祭の幕開けに際し、期間中の神事の無事を祈願します。
この日稚児は白く化粧をほどこし、袴姿の稚児衣裳に身をつつみ、補佐役の2人の禿(かむろ)と共に本殿でお祓いを受け祈願した後、朱の傘をかざされながら、本殿の周りを3回めぐります。

長刀鉾稚児お千度

くじ取式

七月二日 十時~ 京都市役所

山鉾巡行の順番を決めるため、各山鉾町の代表者がくじを引きます。
32基のうち8基は「くじ取らず」といい、毎年順番が決まっています。

鉾建て、曳き初め

七月十日 各山鉾町

各山鉾町ごとに鉾・山を組み建て、それぞれの町内で曳きます。

神事用水清祓式

七月十日 十時~ 四条大橋、宮川堤

四条大橋から松原橋上流までの鴨川を宮川といいます。
注連縄の張られた四条大橋の中央部から釣瓶を用いて、この夜に行われる神輿洗いの儀式に使用する神事用水を汲み上げます。
その後、宮川堤の祓所で神事用水清祓式が執り行われ、夜に備えます。

お迎提灯

七月十日 十六時半~二十一時 八坂神社~市役所~八坂神社

「神輿洗」の神輿を迎えるために、先触れとして提灯を立てて行列をととのえ、氏子地域を練り歩きます。
太鼓を先頭にそれぞれの提灯を掲げ、八坂神社から市役所へ向かい、市役所前で鷺踊などの舞踊を披露した後、八坂神社に戻ります。祇園石段下にて神輿洗の神輿を迎え、その後境内で舞踊の奉納が行われます。

神輿洗

七月十日 二十時~ 八坂神社~四条大橋

午後6時、八坂神社で奉告祭ののち中御座、東御座、西御座3基の神輿を拝殿に据えます。四若神輿会の若衆らが、4メートルもの大松明に浄火を点じ、四条通を四条大橋まで神輿の通る道筋を清めていきます。この松明は、神輿洗に先立って通り道を調べ、清めていくことから「道しらべ」と呼ばれています。
松明が八坂神社に戻ってくると3基の神輿のうち素戔嗚尊(すさのおのみこと)をまつる中御座1基を担ぎ、列の前後を松明で照らし、四条大橋に渡ります。そして午前中に鴨川(鴨川は四条大橋と松原橋の間は宮川という名になる)から汲み上げ、お祓いをすませた神事用水を、神官が榊の枝に含ませて神輿に注ぎ清めます。この時の神水を浴びると、厄除けになると信じられています。
その後神輿は八坂神社に戻り、17日の神幸祭にそなえ3基の神輿を飾りつけます。

長刀鉾稚児社参

七月十三日 十一時~ 八坂神社

祇園祭の神事で重要な役割を担うのが、神の使いとされる稚児で、江戸中期までは船鉾以外の全ての鉾に乗っていましたが、いま生稚児(いきちご)が乗るのは長刀鉾だけで、他は童形が祀られます。
長刀鉾の稚児は、6月に市内の10歳前後の少年から選ばれ、長刀鉾町の仮養子になります。この日稚児は蝶とんぼの冠に金の立烏帽子を重ね、狩衣・差貫姿で従者を従え、白馬に乗って八坂神社に詣でます。神社では、「お位もらい」の儀が行われ、五位の少将、十万石の大名の資格が稚児に授けられます。稚児はこの日を境に「神の使い」とされ、地を踏まず、強力(ごうりき)さんの肩に乗って移動するなど厳粛な日々を送ります。

久世駒形稚児社参

七月十三日 十四時~ 八坂神社

久世駒形稚児は、17日の神幸祭と24日還幸祭の神輿渡御で、素戔嗚尊を祀る神輿の中御座の行列に伴って廻る稚児です。
八坂神社の祭神が、素戔嗚尊の和御魂(にぎみたま・神の優しい側面)で、氏子地域から遠く離れた上久世の綾戸国中(あやとくなか)神社の祭神が、八坂神社と同一神の荒御魂(あらみたま・同じ神の荒々しい側面)といわれています。
馬の首の形を模した「駒形」は綾戸国中神社の御神体で、駒形稚児は胸にその形代(かたしろ)をかけます。従って稚児は神の化身、神そのものとみなされ、五位の位のある長刀鉾稚児や皇族でも乗り物から降りなければならない八坂神社の境内にも馬に乗ったままで入れ、直接本殿に乗り付けることができます。
八坂神社の和御魂に綾戸国中神社の荒御魂が来て、両者が合体してはじめて祇園祭が成立するともいわれるほど、重要な存在なのです。

式包丁奉納

七月十五日 十時~ 八坂神社

日本式包丁道生間流による式包丁の奉納が行われます。

伝統芸能奉納

七月十五日 十五時~ 八坂神社・能舞台

「祇園祭」を祝って境内の能舞台で催されます。
今様歌舞楽・一絃琴・琵琶・狂言・地唄舞・箏曲・尺八・詩吟といった多彩な演舞、音色が響きます。

宵宮祭

七月十五日 十九時~ 八坂神社

境内の灯をすべて消し、浄闇の内に舞殿に奉安する3基の神輿に神霊を移します。

いけばな展

七月十五日~十七日 四条通・祇園石段下~烏丸

祭り情緒にひたって道ゆく人の出が日ごとに増える3日間、四条通りを舞台に名家名流が一堂に会して、各店を花で彩ります。
美しい恒例の四条通いけばな展は、祇園祭のもう一つの楽しみです。

いけばな展

宵宮神賑奉納・前夜祭

七月十五日 十九時頃~二十二時 八坂神社参道・祇園四条通

7月16日の「宵宮神賑奉納」は、八坂神社の大神さまに各種芸能を奉納する神事ですが、15日の前夜祭は祇園地域とお客さんが一緒に楽しめる、地元のお祭りといった感じでしょうか。
特設のビアカウンターでは、祇園の芸妓さんや舞妓さんとビールを飲んで会話が楽しめます。また、祇園町衆のお好み芸能として、三味線ライブや篠笛の演奏など盛り沢山の催しものが予定されていて、祇園風情を味わえる楽しいお祭りです。

献茶祭

七月十六日 九時~ 八坂神社

表千家家元千宗左宗匠と、裏千家家元千宗室宗匠とが隔年で奉仕します。

宵山

七月十四日~十六日 夕刻より 各山鉾町

各山鉾町では山鉾を飾り、祇園囃子を奏で、各家も家宝、屏風等を飾ります。

宵宮神賑奉納

七月十六日 十八時頃~二十一時 八坂神社参道・祇園四条通

祇園祭といえば動く美術館といわれる山鉾に目を奪われがちですが、祇園祭のルーツ祇園御霊会(ごりょうえ)は、歌舞を奉納して荒ぶる御霊を慰め、悪疫退散を祈るという素朴な形ではじまりました。

祇園さんのお膝元、祇園商店街では祇園祭本来の性格をふまえ、伝統芸能の継承を願って宵宮の夕刻、歩行者天国になる四条通の特設ステージを舞台に、八坂神社の大神さまに各種芸能を奉納する「宵宮神賑奉納」をくり広げます。

京舞や舞楽を始め、いろいろな芸能を身近に見られる貴重なチャンスです。

▼舞楽 / 弥栄雅楽会

弥栄雅楽会は、主に八坂神社の祭事に雅楽を奉賛する会で、伝統行事等に多数参加奉仕しています。 管絃楽は、管楽器の鳳笙(ほうしょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)と、絃楽器の楽琵琶・楽箏(がくそう)そして打楽器の鞨鼓(かっこ)・太鼓・鉦鼓(しょうこ)で編成された、純粋器楽演奏(フルオーケストラ)です。 舞楽は、音楽と共に奏する舞で、唐楽(中国系の曲)の左舞と、高麗楽(朝鮮系の曲)の右舞があり、主に左舞は赤色、右舞は青色を基調にした装束を使い分け、楽器もそれぞれ使い分けられます。

宵宮神賑奉納

▼鷺踊(さぎおどり) / 祇園万灯会

鷺舞はもともと鵲鉾(かささぎぼこ)に附属した舞で、大きな風流傘の上に鷺の立つ太鼓橋を置き、その下で雄雌2羽の鷺に扮した人が羽ばたくように羽を広げ、鞨鼓(かっこ)2人、棒振り2人とともに鉾の周りを舞いながら、巡行したものといわれています。 鵲鉾は応仁の乱で焼失し、鷺舞も江戸中期に中絶してしまいましたが、祇園の八坂神社から、島根県津和野町の弥栄(やさか)神社の祇園会に伝承されていたものを、逆輸入の形で茂山千之丞氏と若柳吉依賀氏のご助力により、昭和31年に復元されたものです。 そして子供たちによる鷺踊は、津和野の鷺舞に近い装束で、子供の踊りにふさわしく振り付けされたものです。 数百年前、京の祇園祭が各地に伝播していったこと、当時の文化の交流が偲ばれます。

▼京舞 / 祇園甲部歌舞会

祇園といえば八坂神社の門前町として発達したところで、江戸時代のはじめに参詣の人をあてこんだ水茶屋がルーツとなります。 この水茶屋が客の求めに応じて酒を出したり料理をとったりして、必然的に酒席を盛り上げる女性が欠かせなくなり、舞や音曲を供する女性が舞妓や芸妓になりました。 品格を重んじる舞は、井上八千代師指導による、あでやかで格式の高い井上流京舞で、祇園甲部歌舞会だけの舞です。

宵宮神賑奉納

▼祇園祭音頭踊 / 祇園万灯会

7月10日の神輿洗に付随して祇園万灯会のお迎提灯行列があります。お迎提灯は、もともと江戸時代、四条大橋付近には南座など芝居小屋が集まっていましたが、その芸人・役者たちが提灯をともし、鳴り物入りで神輿洗の神輿をお迎えしたに由来するものです。 この行事を八坂神社境内の万灯篭奉納の祇園万灯会が中心になり昭和27年から復活したものです。 現在その行列の中には、子供たちの諸踊がありますが、祇園祭音頭踊は、昭和32年祇園祭が戦後復活10周年を記念して創作されたものです。

宵宮神賑奉納

▼大石囃子 / 大石神社巴会

大石神社は「忠臣蔵」の主人公、大石内蔵助を祀った神社で、大石隠棲の地である山科にあります。 大石良雄は、主君の仇討ちを心に秘め、遊興にふけった話は歌舞伎「仮名手本忠臣蔵・祇園一力の場」で有名ですが、その大石公の遺徳を偲び、お座敷遊びと江戸のお囃子を取り入れたのが大石囃子。大石神社の青年会組織である大石神社巴会の人たちにより、創られ伝えられているものです。

宵宮神賑奉納

▼祇園獅子舞 / 八坂神社青年会

この獅子舞は7月24日の花傘巡行の際に、金・銀の両獅子が清め祓いの意味をもって巡行の先頭をゆくものです。 昭和43年に笛の籐舎呂弘(とうしゃろこう)氏の作曲、狂言の茂山千之丞氏の振付および若柳吉依賀氏の指導により、八坂神社青年会祇園獅子研究会が復活されたものです。 昭和47年からは八坂神社青年会の女子会員が参加、演じられて以来、全国にも珍しい男女の獅子舞として受け継がれています。

宵宮神賑奉納

▼祇園太鼓 / 祇園太鼓研究会

昭和41年、山鉾巡行が7月17日に統合されることになり、24日の花傘巡行が行われる際に、巡行の触れ太鼓・先太鼓の役目を果たすために、八坂神社青年会の有志が中心となり、「祇園太鼓」と名付けて参加したのがはじまりです。以後「祇園太鼓研究会」として祇園祭のさまざまな行事に参加しています。 また子供祇園太鼓は、昭和57年から八坂神社のボーイスカウト・ガールスカウトの少年少女が活動の一環として参加するようになったものです。

宵宮神賑奉納

日和神楽

七月十六日 二十二時~ 山鉾町~八坂神社

宵山の賑わいのあと、翌日の晴天を祈願するために各山鉾町の囃子方が、各町から四条御旅所の間を囃しながら往復します。

長刀鉾の囃子方は八坂神社に詣でます。一同打ち揃って車のついた枠に鉦をつるし、太鼓もそれに載せ、笛を吹き、賑やかに祇園囃子奏でつつ、人波を分けてながら四条通を八坂神社に向かいます。八坂神社では祇園囃子を奉納し再び鉾町に帰ります。

日和神楽

山鉾巡行

七月十七日 九時~ 山鉾町~四条河原町~河原町御池~山鉾町

祇園祭は山鉾巡行が最大の見どころですが、八坂神社の神幸祭・還幸祭の神輿渡御が中心行事。山鉾は主役である神輿渡御の前を行く露払い的な役割なので、昭和41年に統一されるまでは、神幸祭の前祭と還幸祭の後祭の2回ありました。

長刀鉾を先頭に、くじ取りで決まった順に前祭の山鉾23基、後祭の山9基、あわせて32基が祇園囃子も賑やかに巡行します。

途中、四条堺町で京都市長による、くじ取り式で決まった巡行順位を確認する「くじ改め」があります。また四条麩屋町では長刀鉾の稚児が、四条通に張り渡した斎竹(いみたけ)の注連縄を太刀を振るって切り落とします。結界を取り外し、神域に入る儀式で、いよいよ神事としての山鉾巡行がはじまります。

神幸祭・神輿渡御

七月十七日 十六時~ 八坂神社~四条御旅所

祇園祭が観光行事でなく、神事であることをよく表しているのが神幸祭で、祇園祭で最も重要な中心行事です。

神輿は素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る中御座、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)を祀る東御座、八柱御子神(やはしらのみこがみ)を祀る西御座の3基です。神幸祭の祭典のあと八坂神社境内をまわり、南楼門より出ます。そして祇園石段下で3基とも集結し威勢よく差し上げを行い、練った後、久世駒形稚児とともに出発し、3基それぞれの所定の順路で氏子区域内を巡行します。午後8時から9時過ぎの間に相次いで四条寺町の御旅所に渡御します。

神輿は24日の還幸祭まで七夜御旅所で奉安され、その夜より舞妓さん、芸妓さん達が願いを込め「無言」で七日七夜、御旅所の神輿前に詣でると、願いが叶うという「無言参り(むごんまいり)」が始まります。

献茶祭

七月二十三日 九時~ 八坂神社

在洛の煎茶道家元の輪番奉仕により行われます。

花傘巡行

七月二十四日 十時~ 八坂神社~市役所~八坂神社

昭和41年に山鉾巡行が17日に統一されたため、後祭にかわって行われるのが、花傘巡行です。祭列は山鉾の古式を再現する、怨霊を鎮める花傘10余基を中心に、子供神輿、祇園太鼓、馬長列、武者稚児、久世六斎、鷺踊、祇園囃子など10数団体、総勢1000人からなる華やかなものです。

祭列は八坂神社を出発し、四条河原町、市役所、四条御旅所をへて八坂神社まで巡行します。

花傘巡行芸能奉納

七月二十四日 十二時頃~ 八坂神社

花傘巡行が八坂神社到着後、境内舞殿では久世六斎をはじめ、祇園獅子舞や舞妓さん・芸妓さんの舞など、数々の舞踊、芸能が奉納されます。

舞妓さん・芸妓さんの舞は、祇園甲部は「すずめ踊」を、また宮川町では「コンチキ音頭」、祇園東では「小町踊」、先斗町では「歌舞伎踊」を奉納、年によって担当の花街が変わります。

神輿渡御・還幸祭

七月二十四日 十七時~ 四条御旅所~八坂神社

神幸祭の 17日から御神体を奉じて四条御旅所に渡御していた神輿3基が、四条御旅所を出発して氏子町内のそれぞれの所定のコースを巡行し、八坂神社に帰ります。途中で三条御供社にて祭典を行い、神輿に明かりを入れ、午後9時から10時頃までに、それぞれ八坂神社に渡御します。

その後神霊を神輿より本社に還す、還幸祭の祭典を行ないます。

狂言奉納

七月二十五日 八坂神社

茂山忠三郎社中の人々により狂言が奉納されます。

神事用水清祓式

七月二十八日 十時~ 宮川橋(四条大橋南)

川の水を汲み上げ、夜行われる「神輿洗」に使用する神事用水のお祓いをします。

神輿洗

七月二十八日 十八時~ 八坂神社~四条大橋

午後6時頃、奉告祭終了後24日の還幸祭を終えて帰着している中御座、東御座、西御座の3基の神輿のうち、中御座1基を再び大松明の火で清めた、四条通から四条大橋の中央まで渡します。10日の神輿洗と同じく午前中に鴨川から汲み上げ、お祓いをすませた神事用水を、神官が榊の枝に含ませて神輿に注ぎ清めます。

午後8時半ごろ八坂神社に帰った神輿は、儀式を行ったのち神輿庫に格納されます。

神事済奉告祭

七月二十九日 十六時~ 八坂神社

祇園祭がすべて終了したことを神前に奉告し、感謝する儀式です。

疫神社夏越祭

七月三十一日 十時~ 八坂神社

八坂神社の境内摂社である疫神社は、疫病除けの神、蘇民将来を祀り、蘇民将来社ともいわれています。
古き伝承によると、八坂神社の祭神、素戔嗚尊が南海に旅をして一夜の宿を求めたとき、裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)はこの願いを拒んだのに対し、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)は快くもてなしました。この蘇民将来の真心を喜んだ素戔嗚尊は「蘇民将来之子孫也」と記した護符を授け、一家は疫病を免れ無事に過ごしたとされています。これが「蘇民将来之子孫也」の護符のゆえんで、祇園祭の粽にも必ずこの文字を入れた護符が結びつけられています。
この日、疫神社の鳥居に大茅輪を設け、参拝者はこれをくぐって厄気を祓い、「蘇民将来之子孫也」の護符を授かります。
この祭事で1ヶ月間にわたった祇園祭も幕を閉じます。

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