崇徳天皇御廟
保元の乱に敗れた崇徳上皇は、讃岐に流され悲嘆の日々を送っていたが、血書をもって都への還幸を願ったが、聞き入れられず、46歳で崩御された。
上皇の寵愛を受けた阿波内侍は上皇の遺髪を請い受け、この地に一塚を築き、亡き上皇の霊をお慰めしたと伝えられている。
この頃、京では異変が相次ぎ、崇徳上皇の祟りと恐れられたため、御影堂や粟田宮を建て慰霊したが、今では廃絶し、この地のみが上皇を偲ぶ御廟となっている。
住所 : | 〒605-0074 京都府京都市東山区祇園町南側 |
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保元の乱に敗れた崇徳上皇は、讃岐に流され悲嘆の日々を送っていたが、血書をもって都への還幸を願ったが、聞き入れられず、46歳で崩御された。
上皇の寵愛を受けた阿波内侍は上皇の遺髪を請い受け、この地に一塚を築き、亡き上皇の霊をお慰めしたと伝えられている。
この頃、京では異変が相次ぎ、崇徳上皇の祟りと恐れられたため、御影堂や粟田宮を建て慰霊したが、今では廃絶し、この地のみが上皇を偲ぶ御廟となっている。
住所 : | 〒605-0074 京都府京都市東山区祇園町南側 |
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