俳聖芭蕉堂
歌聖・西行庵のとなりは俳聖「芭蕉堂」
円山野外音楽堂の南東に道をとると、庵が二つ立ち並びます。左に西行庵、右に芭蕉堂です。芭蕉堂はこの地に阿弥陀房を訪ねた西行法師が
柴の庵と聞くはくやしき名なれども よにこのもしき住居なりけり
と詠んだ歌に対して
しばの戸の月やそのままあみだ房
とこたえた句にちなみ、芭蕉の門人である加賀の俳人、高桑蘭更(たかくわ らんこう)がつくったものです。
4月15日は「花の下にて春死なん」の歌聖・西行のための花供養が隣りの西行庵で行われ、11月11日にはこのもしき茅葺の四阿で、生涯西行を敬愛し、京へと跡をしたった俳聖芭蕉忌がいとなわれます。
堂内には、蕉門十哲の1人である森川許六作の木像が安置され、左右に芭蕉の有名な二句を漢詩にしたものが揚げられています。右の「四海動揺蛙入古池」は古池や…の句。左の「千山簫瑟鴉棲枯枝」は、多分「枯枝に烏とまりけり秋の暮れ」でしょう。
芭蕉堂には五基の句碑が建っていますが、そのうちの一つ「この庵や青梅ひとつ夜の昔」は、堂守であった山鹿楓城のものです。
日頃は非公開ですので、要注意。